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 この幻想的な景色は覚えている。夕方の教室に1人佇む私と、それを包むカーテンの波。
 黒板に書かれた「evolution」という単語が妙に可愛く、妙に可笑しい。
 傾いた光源から生み出されるこのハイコントラストな風景は、
 セロハンを貼った絵画のように赤い。
 目の奥が痛くなるような強い郷愁に襲われながら近くの机に座り込むと、
 ひんやりとした木材質の感触が薄いスカートから染み込んできた。

 ここは、学校、だ。

 窓ガラスに映るボクの姿は、確かに良く知るカタチをしていた。
 薄く埃の張ったそれに指を立てながら数秒待つと、教室奥の引き戸ががらりと鳴った。
 「アイちゃん」
 おかっぱ頭の内気そうな子が声を掛けてくる。
 「一緒に帰ろう」
 現実感は、具体的な説明を求めている。
 ボクは良く知るはずの彼女を見つめて、ただ何かのアクションを待つしかない。
 「お店閉まっちゃうよ?」
 困ったような笑顔、それと符合する名前が1つだけ有った。
 「夏実ちゃん」
 「なっちゃんです」
 「あ、そう」
 やんわりとした訂正を受けながらボクは支度を整えて教室を出る。
 「行こ」
 手を繋ぐ。
 「うん」
 為されるがままそれを握り返す。
 懐かしい感触がした。
 彼女は、部活帰りなのだろう。制汗スプレーの香料に混じって、微かに甘い体臭がした。

 旧新宿区のバラックには、怪しいモノを扱う店が幾つもあった。
 ボク達の目的は、その冷やかしと言ってほぼ間違いない。
 それでも1つ何か買おうと思って目を凝らしていると、
 なっちゃんは薄く笑ってそれに付き合ってくれた。
 ――大衆雑誌の複製。
 ――インチキな古文書。
 ――バネ仕掛けのダイカスト人形。
 ――使用済みの体操着。
 ――懐かしいポップスの譜面。
 ――おもちゃの兵隊。
 ――耳が黒く焦げた子犬。
 ――鳩の串焼き。
 ――腐ったトマトソースの缶詰。
 ――ヴィデオレコーダー。
 ――重曹水の詰め合わせ。
 ――ケミカルな色彩に塗られただけの廃材。
 おおよそ想像の範囲を超えない見慣れたガラクタが、次から次へと視界に入ってくる。
 「コレは?」
 なっちゃんが、ボクに半透明のケースを差しだした。
 プラスティック製の、赤い眼鏡。
 「ボク、目は悪くないよ」
 「良いから」
 ひんやりとした感触と共に、こめかみを通る眼鏡の蔓。

 ――なんだろう。ひどく、違和感がある。

 くださいな、と言って、なっちゃんはサングラスの親父に500円札を渡していた。
 その横顔をじっと見ていると、彼女はひっこりと笑って、「似合ってるよ」

 公園のベンチに座りながら、互いに肩と頭を寄せて眼を閉じている。
 上下に重ねた手を、指まで丁寧に絡み付けながら、
 ボク達はただ時間を惜しむように太陽を見ていた。
 「元気だった?」
 場違いな言葉が発せられる。その意味に薄々気付きながらも、うんと返事をした。
 前髪を撫でる風が、やけに優しい。
 「どれぐらいぶりかな、こんなの」
 答えられない。彼女の独白に任せて微睡んだ振りをする。
 「介入……ううん、登場できるなんて思わなかった。
 アイちゃんの偶然にそこまで期待できなかったからね。
 私がそれほどの重要度を持っているなんて思わなかったし。
 逆を返せば、それくらいあなたは追い詰められちゃってるっていう証明でも有るんだけど」
 重ねた左手に、ぎゅっと言う感触があった。
 「私が持っている意味はほんの少しだよ、アイちゃん。
  なっちゃんこと柊ナツミは、あなたとデートしている最中、話にならない唐突さで殺される。
  それだけのピース。それだけのエキストラ。
  何の才能も演目もない私は、あなたの憎悪を引き出す爆薬の一部に過ぎない。
  悲しいけれど、それが全て」
 陽が、絞られていく。
 真円を描いたまま赤く引き絞られていく太陽は、数瞬のウチに小さな月へと反転する。
 その境界はひどく曖昧で、涙が塞ぐ視界のようにぼやけている。
 「アイちゃん、生きて。でも忘れないで。
  私の無念じゃなくて、あなたの取り戻したい時間を」

 紅い月が生まれる。

 なっちゃんの身体は、数秒と持たずに解体された。
 無力なボクはそいつを見据える。
 赤黒いカタマリとしか視認できないそれを睨み付ける。
 ただ見るだけでも、記憶さえ持ち帰れれば、そいつは生きた武器になる。
 視界は夾雑物を透過し始め、蜘蛛の巣のようにのたくったワイヤの群れへと変わった。
 感情が、異物の否定に特化していく。
 ――恐怖すればするほど、記憶と血液の味は上がるという。
 ボクは、突き立てられる牙の感触を頭から追い出し、ただ中天に浮かぶ無力を見据えた。
 ぞぶり、ぞぶりと首筋が蹂躙される。激痛は、その後に。
 熱病のような快楽はさらにその後。
 少しでも甘味を引き出そうとして、そいつは私の身体を執拗にねぶっている。
 肩口に爪を立てながら、ボクはただ忘却という陶酔だけに抗い続け――

 「大したもんだな、その執念も」

 ――声が、聞こえた。
 猛烈な勢いの蹴りが入って、ボクは吸血鬼もろとも吹っ飛ばされる。
 燃えるように鮮やかな髪をした女の子が、不敵な笑みを浮かべて手を振り下ろした。
 黒い鳥が一斉にソレを捕食し、ただの闇へと還っていく。

 「だが、忘れるんだ。そんな激痛覚えていたところで、オマエには何の益もない」

 不思議な感情が込み上げて来た。
 懐かしいような、嬉しいような、焼け付くような、ひりつくような、御しがたい情動のカタマリ。
 「……おっかねぇ目しやがって。
  言っとくが、今オマエが能力を全覚醒させたとしても、オレには敵わないぜ」
 「どうして?」
 「オレはこの街の『最強』だからだよ」
 ………………くつくつ、と。笑いが込み上げてくる。
 「笑わせるな、吸血鬼」
 放った一言に、紅玉の魔王はぴくりと眉を引きつらせた。
 「あんだって?」
 「ボクの記憶を消して、その記憶をお前が持っているというのなら、
  その記憶をお前が奪ったって事じゃないか。
  この街の人間はね、情報という物に関して過剰なまでに敏感なんだ。
  特に記憶という影法師に対するソレは執着の域を超えている。
  記憶喪失の人間なんていう空っぽな存在は、彼らにとっては幽霊に等しく無価値なんだよ」
 口をついて出た言葉には脈絡も何もなく、ただ感情を媒介とする音として強く残った。
 「こいつは――――ほほぉ。なかなか脈が有ってくれるじゃねぇか。
  たまには昼寝なんて言う酔狂もやってみるもんだ」
 愉快そうに笑う紅。
 ただ引きつけを起こすように嗤う自分。
 不協和音が狭苦しい空間を支配し、冗談のような衝突を繰り返す。
 「……でも、惜しいな」
 「何が」
 「時間切れだよ、ホラ」
 親指で差された方向を見上げると、大きく口を開けた満月が赤味を喪い、
 同時に地面が崩れ去る。
 その中を、紅は器用に渡っていき、ボクはただ巻き込まれるように落下した。

 ――起きた瞬間、目があったのはテキストを持った社会科教師だった。
 「宍道」
 「うぁい」
 「バケツとほうき、どっちが好みだ?」
 「寝てました。ごめんなさい」
 「じゃあ箒を持って廊下に立ってろ」
 「マジすか」

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