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 兄を憎んでいた。ずっと。
 私が泣くまで殴るから。泣くのをやめても殴るから。

 拳だ。平手じゃない。
 私が刃物に手を掛けるようになったのは、ごく自然な成り行きだ。
 母さんの毛が抜けだしたのも、思い起こせばその頃から。

 フローリングの床は体温を吸うように冷たくなり、
 電極を埋め込んだドアノブは幾度も家族の手を焼き払った。

 私の部屋は攻撃色に満ちた作りとなり、
 自然と殺人を意識したモノが床に散らばり始めた。

 粘土細工を解体するようになった頃、 父が一度だけ私の部屋を訪れた事があった。
 以前見たときとは、顔色が余りにも違っていた。
 その事を指摘したら、父は無表情に「お互い様だ」と呟き、
 私もそうですねと冷たく返した。

 それから程なくして、今度は兄が訪ねてきた。

 「……父さんが、入院した」

 そう素っ気なく言った後、

 「見舞いに行こう――」

 私は金属バットを壁に叩きつけ、訳の分からない言葉で吠え狂った。
 兄は何事かを呟き続けた。

 ……細部は憶えていない。
 思い出そうとすると痛みが走る。

 数日後、溜まった汚物を棄てに部屋を出ると、
 ドアの脇に腐った夕食が置いてあるのを確認した。

 不細工さが、兄の作品であることを物語っていた。

 私は、この時初めて、蓄積していた憎悪が薄れていくのを感じた。

 荒れた髪を削り、溜まった垢をこそぎ落とし、
 
身支度を整えて誰かの帰りを待った。

 先に帰ってきたのは兄だった。
 きっかり3秒目を合わせた後、お互いに無言で出かける準備を始めた。
 タクシーの中は静かだった。

 病院についてから、母はまず私を見て泣いた。
 右手には数珠が握りしめられていた。

 念入りに殺菌消毒を施された後、
 
よく解らない部屋で、よく解らない父と対面した。

 見舞いは数日間続いたと思う。
 
父はようやく解放され、私たちも一応の終わりを得た。
 噛みしめるような沈黙だった。

 深夜一時の霊安室、
 その前での家族の会話を憶えている。

 「俺達は、毒素だ」

 ――兄は、私の目を見据えて言った。
 ストレートに何の感情とも言えない色が、 瞳の中でぐるぐると渦巻いている。

 私には何もない。
 虫のように無機質に、ただ兄を苦しめるだけに有った心は、 もうすでに消えてしまったから。

 「他には何も言えない。ただ、母さんは死ぬほど哀しんだんだ。 ――父さんも、」

 言葉を遮って、母が漏れだした警報のように泣いた。いや、鳴いた。
 呟きの中に混じってくる、かみさまと言う単語がやけに耳苦しい。

 ――がつん。

 振り返ると、兄が全力で壁を殴りつけていた。
 何度も、何度も。
 拳の骨が皮を突き破り、整った五指が奇妙に折れ曲がる。

 出血は少なかった。
 その軌跡が、非常灯の淡い光に照らされ、壁面へと塗り込められていく。

 ――右手が終わったら左手。

 母の呟きが掠れきった悲鳴に変わる頃、 兄の両手は奇妙なオブジェへと変貌した。
 その様子は、凄絶を通り越して、ただ酷く、哀しい。

 胸の動悸が、早まっていた。
 わからない。
 こんな衝動を、私は抱いたことがない。
 込み上げる吐き気が収まらないと感じたとき、

 「――――――あ、」

 どうしようもなく、思い出したことがあった。

 私を責めていたあの手は
 昔、絵筆を握っていなかったっけ――。

 「すまない」

 繰り返した。

 「すまない」

 兄の目は、真っ直ぐ私を貫いている。
 涙はない。
 唇から流れる血と、荒れた平筆のようなカタマリが全て。

 「――兄さん」

 久しぶりに出した声は、ヒビ割れていた。

 不出来な感情が芽生え始める。
 無機質な心臓に血液がめぐる。

 それは、気が遠くなるくらいに甘美な、生の実感だった。

 「本当に馬鹿ね」

 私はコートに仕込んだ短銃を取り出す。

 兄の目には疑問符しかない。

 母の身体が絶頂に達したかのようにわなないた。
 リノリウムに浸透していく高音域が、やけに冷たい。

 生まれて初めて上げた哄笑に酔いつつ、私は引き鉄に手を掛けた。

 銃口はぴたりとこめかみに吸い付き、
 直後、私の頭をつらぬ――、ぱぁん

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