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 私は傍観者だ。息を殺して世界を見つめる。
 手にした文庫本に意味はない。
 有るとしても、それは意識を途絶するためのモーションを作る小道具に過ぎなかった。

 ひたすら地味な女子高生、そのロールプレイの一巻として存在していたペーパーデバイス。
 それに変化が起こったのは、今から丁度3ヶ月前のことだった。

 いつものように自主休校を決め込み、趣味の人間観察をしていると、
 環状線内回りを3周したところで、イヤホンの中に雑音が走った。

 驚いて胸ポケットのケイタイを確かめると、
 真新しい液晶にドス黒い虹――
のようなモノ――が浮き出ていた。

 はて、コレは何だろうかと首を傾げたとき、視界の隅で何かが動く気配を感じた。
 私はそれを現実だと把握出来ずに、戸惑い、小さく悲鳴を上げてしまった。
 視線を恐怖するこの私が、それ以上に戦慄した現象。

 信じられるだろうか。
 一山いくらで買ったヤニまみれの詩集、その行間に、
 新しく赤い文字がタイプされていくなんて――。

 見た事もない、だが確実に何かのフォントで有ることは間違いないカタチで、
 それは書き込まれていく。
 浸食する深紅のト書き、あるいは悪趣味な脚注。
 隙間だらけのポーの詩集は、一駅の移動でタチの悪いタイポグラフィーへと様変わりした。

 私が描写するニンゲン達の悪臭。
 そのことごとくが狂ったように打ち込まれていった。
 私は、口の端が限界まで吊り上がる笑みを浮かべ、それに見入っていた。
 楽しい。
 後ろ暗い思いが私を突き動かした。
 ――楽しい! 

 その興奮に酔っていると、また1つ違った描写が付け加えられた。
 固有名詞と数字、そして、意味不明な混沌言語。
 それが、青い文字で静かに上書きされていく。

 ……設定だ。私はぼんやりと直感した。
 目の前の吊革にぶら下がる男の子にその名を告げてみた。
 意味の解らないモノを見るような目。
 これだけでは判別できないので、もう一つ言葉を重ねた。

 「『碧の花瓶』の――」

 がたん。
 車内が揺れた。
 男の子の目は自分を捉えて離さなかった。
 それは、訳のワカラナイことを言う女に向ける以上の、意味有る視線。

 「イケナイんだ」

 くすり、くすりと私は笑った。
 何が起こったかなんて知らない。本に穿たれた情報が全て。
 ぐちゃぐちゃになった文庫本を見て、両隣の乗客が短く呻いたのが解る。
 壊れたように笑っていると、私の居た車輛からどんどん人が居なくなっていった。
 占有空間が、とても心地よかった。

 干渉したのはそれっきり。 
 私は静かに設定と文書を集めていた。

 スポーツバックの中にある本の空白は、私が目を通せば即座に情報を吸い上げてくれる、
 頼もしい道具となっていた。
 蒐集した想念や記述は、自室の廊下に溢れる量になり、
 私はココで大きな決心をすることになる。

 貯金を下ろして、ありったけの「空白のハードカヴァー」を買おう――。

 有り得ない思考だ、普通なら。でも、私は止まらなかった。
 視線が記述する世界に、それだけの価値を見出してしまっていた。
 これ以上なく生きている瞬間だった。

 発注を受けてくれた印刷所、その窓口で。
 随分古風な格好をした女性が、私を見るなりこう言った。

 「アンタ、憑かれてるね」

 ――無言でポケットにある中也を取り出す。
 行間はこう記述した。

 『貴宮士音 19 春日狂騒 鋼の筆 劫火 検閲者』

 ……へえ。

 「差し上げます」

 私は言って、その本を彼女へと渡した。
 他人が息を呑む様はいつ見ても可笑しい。

 それから先はビジネスライクに取り持ってくれた。
 10日後、自宅に新たな書物の雛形が届く。
 私はその想像に胸膨らませて、帰り道をただただ上機嫌で歩いた。
 恐らく、人生の中でもっとも幸福な期間だったと思う。
 ――その翌日、あの人が私の目の前に現れるまでは。

 西日の射す、無人の環状線、その第1車輛。
 郷愁を呼ぶこの空気の中で、私は蒐集した文書を読み耽っていた。
 世界はコレで完成している。
 そんな至福の時間を味わっていると、

 「――ムラサメ、キッカ」

 ――名を、

 「15。鏡面世界。鉄芯。月光。簒奪者。……ん?」

 呼ばれた――!?

 「参ったな、その制服……君、妹の同級生じゃないか」

 私は急いで詩集をめくり視線を走らせる。
 現れていく蒼色の混沌文字。

 『四宮裕貴 18 硝化限界 王の左手 m____ 』

 ……違和感。

 視線の先でカーソルがテンメツしている。
 チカチカと、ポタポタと。
 内面記述も外景模写も停止して、
 ただただ赤と青のインクだけが足下の床へと抜け落ちていく。

 「なん……で」

 私の世界記述は、自分でも制御できない、完全に自動的な現象だった。
 目を開いて、そこに本がある限りは、絶対に止まらない永久運動。
 なのに、

 「――何で?!」

 何故。どうして。
 この人が触れただけで、こんなにもあっさり停止してしまっているのか。

 「ああ、そう言うことか」

 彼は、私の知らない何かを納得して、溜め息を吐いた。

 「どこに魔が差したのかと思えば――、オマエ、ずっと眼鏡を変えていないだろう」

 ……とん、と鼻先のフレームに指が伸びる。

 「『色』が付いてしまってるぜ――」

 ぱあぁぁぁあん、と。

 やけに長い破裂音がした。
 四散するレンズの圧力に耐えきれず、フレームが有り得ないカタチに曲がり、
 耳からツルが抜け落ちる。

 薄ぼんやりとした、しかし、余りに風通しの良い視界で、彼は悪魔のような指先を私に向けた。
 周囲は、私にも解るくらいの原色風景。
 未だにだらしなく垂れ落ちる青いタール。
 黄色く焼ける空。
 そして、余りにリアルな赤色の痛み。

 ころされる。
 わたしは。

 きっと、

 「なぁ」

 ……掛けられた言葉は、気安かった。

 「こんな状況の後で悪いんだけど、1つ頼まれてくれないか」

 拒否権なんて有るはずもない。
 私は助かりたい一心でコクコクと頷いた。

 顔色までは解らない。
 多分照れていたんだと思う。
 彼の言った言葉はこうだ。

 「……妹の友達になって欲しいんだけど」

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