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 私は試しに浮遊してみた。
 視点がゆらり、と繰り上がって行き、やがて地面と影が遠くなる。

 ……何と言うこともない、気まぐれに何か奇跡を起こしてみたくなったのだ。
 きっちり編んだ三つ編みが、風になびいてはたはたと音を立てる。

 その合間に、

 「千枝ー、ぱんつ見えてるー」

 というのんきな声。

 下を見やると九九美が手を振り待っていた。
 私はやる気のない前傾の姿勢のまま、ゆらりと静かに着地した。

 「どうしたの? 朝から空中散歩なんて」

 「何て言うか、精神的ブルーデー」

 「あらら」

 頬に手を当て首を傾げる。
 
その細い指の隙間には、黒い刻印。

 魔法遣いの証であり、同時に処女の看板でもあるこの痣は、
 思春期の少女の約半数に降りかかる、厄介な通過儀礼の1つだった。

 「来てから、もう一週間になるんだね」

 右頬に幾何学模様を浮かべた親友は、ぼんやりとそんなことを言った。

 「そうね」

 気のない返事を返してから、私は呪うように回想する。

 

 一週間前。
 遅れていた魔法の覚醒が、私の身に起こった。

 きっかけは、一ヶ月ぶりの牛肉入り鍋をひっくり返したとき。

 見事に鍋を空中に静止させた私を、家族みんなが驚喜しながら祝ってくれた。

 「で、おしるしは何処なんだ?」

 父さんがほろ酔い気分で言った瞬間、私は自室の姿見まで全力で駆け上った。

 顔、セーフ。背面、問題なし。両手足、オッケー。

 私はイヤな予感と戦いながらブラを外して靴下を脱いで、
 泣きそうになりながらショーツを脱ぎ、

 手鏡を使って覗いた先には……。

 

 「ショッキングだよね、膣口なんて」

 私は親友の後頭部にラリアットを見舞った。

 メガネが割れる音と共に鮮血がアスファルトに沁みだしていき、
 逆再生するかのように巻き戻っていく。

 「いたーい」

 無傷のままむくりと立ち上がる九九美。

 「アンタも女なら気を使え」

 「ごめんごめん」

 ……まぁともかく、外部から見えないとは言えエラいところに付いたものだ。
 しかも有事には必ず見えると来た。

 私は凹んだ。超凹んだ。

 「でも千枝凄いよ。そこにある人って凄く珍しいし、使役できる魔法も特Aクラスなんだよ?」

 「いや、正直もう魔法とか要らないんで、私の青春返して下さい」

 「じゃあ、さっさと卒業しちゃえば?」

 「相手が居ないし、居たとしてもビビられる」

 そう。そこがかなり問題だった。

 資格を喪失すると、刻印は異界の炎で燃える。ボーボー燃える。5千度くらいで。
 一瞬だし、局地的なモノだから痛みは一瞬らしいけど……。

 「一生モノだよねー、そこの火傷は」

 「……つうか、絶対無理な気がする」

 「一応、先先代の女王様は子供産んでるよ」

 「え、マジ?!」

 「うん。ドラゴンと契約して口からタマゴを……」

 「解決になっとらんわっ!!」

 私の拳骨が九九美のこめかみをえぐり、半身がコマのように回転して地面に伏す。
 そこからまたも逆再生。

 「いたーい」

 「……燃えるような恋がしたいわ」

 「否応なしに燃えちゃうけどねー」

 がっくりしながら重い通学路を行く。

 「ねぇ、千枝ちゃん」

 「何さ、親友」

 「これって、体液の純度で濃さが変わるらしいから、上手くすれば無傷で消せるかもよ」

 ぴたり。今日初めてのまともな意見に、私は思わず足を止めた。

 「ほ、ほんとっ?!」

 「うん。実は……私も、ちょっと試してみました」

 そう言っていつも隠してる右頬から手を除けた。
 漆黒のハズの刻印が、確かにちょっと薄れている。
 まだ目立つけど、ダークグレー。

 「す、凄いよ九九美っ! 裏技だよ! 抜け道だよ! 大発見だよっ!!」

 「えっへん」

 胸を張る親友。まぁ、私程じゃないにしろ、顔面と言うのもかなりキツイ。
 やはり、こう見えて色々考えてたんだろうな……。

 「法王庁の資料見てみたらね、
 何か歴代の女王や宮廷魔法士は貞操帯とマスク着用が義務づけられてるんだって。
 
口が犯されないようにって」

 「……盲点だったなぁ。なるほど口で、」

 ふと。
 イヤな予感が、した。

 「……誰と?」

 私の問いかけに、にへりと笑う親友。
 コイツには彼氏が居ない。男友達も居ない。
 ただ、死ぬほど可愛がっている小学5年生の――

 「弟」

 「うわあああああああああああああああああああああっっ!!」

 一線を越えた親友から、全力で飛び退く。

 「あ、アンタ……あんな幼い子の将来を台無しに……」

 「えー? 別にそんな大事じゃないよー」

 ひらひらと手を振って否定する。
 恐ろしい。モラルハザードだ。禁断の世界だ。エロゲ的世界がここに降臨した。

 「キスぐらい」

 ……。

 ぱんぱん、と、膝の埃を払った。

 「……まぁ、そうだと思ってたけどね」

 「キスで将来は台無しなの?」

 「私って、ほら、ピュアだから」

 「どんな想像したのかなー」

 にへり、と三日月型の笑みを浮かべる九九美。怖い。

 「昨日の晩ね、ドロップあげて、唾を一杯溜めさせて、そのまま全部吸い出しました」

 小首を傾げて衝撃の告白。

 「結局一缶使ったから、舌が疲れてべとべとになっちゃったよー」

 訂正。やはりモラルハザードだ。禁断の園だ。エロスの王国だ。

 「別に同性でも有効らしいから、千枝ちゃんさえ良ければ私でも……」

 「却下っ!!」

 「何で?」

 「私はノーマルなのっ!!」

 「ふふふー、良いじゃなーい♪」

 良くねぇ!!

 お互いに顔を掴み合い、とても不細工な面のまま魔力の渦が衝突する。

 有り得ない方向にほっぺたが伸びている九九美。
 そのメガネ越しに見える超絶タラコクチビルの私。

 「ふかーーーーっ」

 「むまーーーーーーっ」

 子供が見たら3日は寝込むだろう、言葉にならない精神戦が始まった。

 そこに差す、黒い影。

 グラサン、黒ずくめ、オールバックのその男は、私達が発生させた力場をほんの数秒で中和させ、
 懐から何かを取り出しながら、告げた。

 「――魔法局の者ですが」

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