……遠くで、3度目のアラームがけたたましく鳴り始めた。
緩慢な意識の中で、携帯の停止ボタンに手を掛ける。
起床予定の時間を、15分近く過ぎていた。
ゆっくりと、カーテンから漏れだした光に目を細めながら、邪魔な毛布をはね除けて、思う。
――なんて、ひどい朝。
昨夜の酒に灼かれた胃が、普段活動しない午前7時というシフトに拒否反応を示している。
それを説き伏せるかのように、解れた髪に手を差し入れ、祈るように呟いた。
……朝だ。
今日は学校がある。あの子を送り出してやらないと、何もかも始まらない。
「あれ、ヒカリさん」
キッチンには、既にあの子――宍道アイが立っていた。
ただ湯を沸かしているだけの状態だが、それでも痛恨の不覚を取った気分になる。
母親失格だ、私は。
「待っててね。今コーヒー入れるから」
お気に入りのカップを2つ、テーブルに置いた。
それだけの仕草でも、今日は機嫌が良いんだなだと察することが出来た。
喜びたい。本当なら。
でも、この子が上機嫌な理由を知っていると、とてもそんな気分にはなれなかった。
無邪気な笑顔の下には、生きる意志を昏い感情に固定してしまった、無垢で愛しい弱さがある。
そして、それを抱き締めてしまったら、今の私達は終わってしまうのだ。
憂鬱になる。
何が親子だ、馬鹿馬鹿しい。
結局私達は、利害関係をすり合わせているだけの他人に過ぎないんじゃないか――。
この街における吸血鬼と殺人鬼の定義は、戸惑うほどに簡単だ。
吸血鬼は記憶と存在を奪い、殺人鬼は記憶と存在を抹消する。
それがどんな方法によるか、どれほどの数を手に掛けたかは問題ではない。
上記2つの略奪行為を行った人間は、原姿教会の名に於いて公然と淘汰される。
そう言う意味では、紛う事なき蔑称なのだ。
存在を長らえたモノは幾つもの称号を得るが、
結局それは名前という呪文の末尾が伸びるということ以外、何も生み出さない。
撒いた恐怖の分だけ忌み嫌われ、後に存在自体の履歴まで消え去ってしまう。
人口も資源も減少の一歩を辿るこの街に於いてすら、
それは余りにも空しい最後であると、私は夢想する。
「今日だよね」
ふと発しただけの言葉に、心が痛む。
「今日、狩りに行くんだよね」
確認の言葉。同時に、虚言を許さないと言う冷たい意思表示。
「情報を回収したのはボクだから。当然、『今回は』、行く権利があるわけだよね?」
笑っている。ただそれだけのことが、こんなに悲しいなんて。
「……ええ。混成チームを組んで、深夜0時に浜松町付近で待機。貴方の参加も認めます」
そっかと呟いて、ブルーベリージャムがたっぷりと塗られたトーストを口にくわえた。
食べる? と聞かれたけれど、到底そんな気分になれず、辞退した。
ただ黒い水面だけをゆらゆらと揺らす。
ココアになるんじゃないかという勢いで砂糖を入れたインスタントコーヒーは、
重そうなレスポンスを返すだけで一向に食欲をそそらない。
吐き気がした。
いや、思えばあの時から。
ヒトを守るために殺人鬼になろうと考えたあの日から、
そんなモノは封印されてしまったのかも知れない。
私は迷っている。この子は迷わない。
多分、そんなモノすら復讐する相手に奪われてしまったんだろう。
彼女はきっと大丈夫だ。
取り返しの付かないところまで間違ったとき、彼女ならきっと、躊躇無く私を殺す。
――その為の家族だ。
行ってきますという言葉を聞いて、錆び付いた玄関を飛び出したあの子を見送ると、
私はある番号の留守番電話にをメッセージを入れた。
届く確率は5分。届かなかったら……、私は腹を括るしかない。
「裕貴さん、私です。あの――今夜、どこかで会えませんか?」
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