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 継内弓子は、いけすかない女だった。

 強気で生意気で口うるさく、真面目で堅いイメージしかなかった。
 それが弱い自分を守るための鎧である事に気付けるほど大人ではなかったし、
 知っていたからと言って、今まで持っていた苦手意識がなくなった訳でもなかっただろう。

 しかし、単純な話だと解っちゃいるが……、
 強気な女の弱さと言うのは、どうも魅力的に見えるモノらしい。

 少なくとも、一方的に嫌ってて悪かったかな、という気にさせられてしまうくらいには。

 

 きゅ、というシャワーの元栓が閉まる音が聞こえ、しばらく沈黙。

 「聞いてんじゃないわよ」

 エコーのかかった毒を吐いた後に、再び栓を捻る音。
 多分、着替えを「聞かれたく」ないんだろう。律儀なことだ。

 ――そうして複雑なノイズを聞き流しながら数分。

 シャワー室から出てきた継内の顔色は、やはり良好とは言えなかった。

 「落ち着いたか?」

 言うと、ジャージ姿で洗い髪という未知の姿のそいつは、冷たい目つきだけは変わらずに、

 「タオルが匂ったわ」

 と返してきた。

 「仕方ないだろ、使用後なんだから」

 「捨てて」

 「勿体ないこと言うなよ」

 「良いから、それは捨てて。お願いだから」

 ……お願いされちゃ仕方ない。こいつは焼却炉にぶち込んでおくとしよう。

 月明かりが差す、蒼い部室棟の中で、俺と継内は互いに壁を背にして話し始めた。

 「同情なんて要らないわよ」

 「してねえよ。アイツらの肩持つ訳じゃないが、こうなる原因もお前にはあるんだ。
 心の隅っこで反省しろ」

 「ひっどい男。こうなった女に言う台詞かしら」

 「同情を拒んだ人間は、大抵こういった憎まれ口を叩かれることになる。知らなかったら覚えとけ」

 「アンタに言われるようなら、私もおしまいかもね。解ってるわよそれくらい。ええ、解っていますとも」

 台詞とは裏腹に、自分の腕を寒そうに抱き締める継内。
 いつものような冷然とした覇気はない。
 代わりに、自虐めいた影が沈み込んでいる。

 「お前、制服は?」

 「バカなこと聞かないで。アレこそ真っ先に捨てたわよ」

 「じゃあ、明日からどうすんだ?」

 「代わりのが一着有るわ。でも、しばらくジャージの方が良いかもね。それっぽくて」

 フン、と鼻を鳴らして強がる継内。

 

 ――俺は、ほんの少し前の時間を、ほんの少しだけ思い出してみた。

  アレは手遅れなのかそうでないか微妙な状況だったが、本人が未遂だと言い張ったので、
 致命的な所までは大丈夫だったんだろう。

 人前と言うことで繕っては居るが、……やはりショックだったと言うのは変わらない。

 そう思えた。

 

 「仮定の話、なんだけど」

 細い声で、うつむきがちな言葉は、こう続いた。

 「アンタがお気に入りの服を着て出掛けた時、野犬に襲われたとして――

 傷が完治した後も、その服を着ると思う?」

 月が出たのか、雲が晴れたのか。
 対面の継内の姿が、にわかに柔らかく照らし出される。

 水色のジャージ。

 赤のストライプ。

 三角の縁メガネ。

 細い肩。

 細い首。

 貫く眼。

 「何の話だ」

 「制服着るの、嫌になりそう……って、そう言う話よ」

 「気に入ってたのか」

 「それなりにね」

 「だからって、いっつもジャージって訳にはいかないだろ」

 「そうね。そんなの変。……うん」

 「しっかりしろよ、委員長。そのデコと眼鏡は飾りか?」

 「デコと眼鏡で人生やってないわよ、全く」

 小突く動作をしながら、ようやく継内が微笑みを漏らした。

 「馬鹿は良いわね、楽そうで」

 「なんだとこの」

 「アンタのは、良い馬鹿よ。馬鹿にも種類があるじゃない。

 「人の気持ちが分からない馬鹿と、解ってても何もしない馬鹿と、
 分かる分からないに関係なく自分の事しかできない馬鹿と」

 「あと、馬鹿と連呼する馬鹿だな」

 「……確かに、それもあるわね」

 「やーい馬鹿」

 「ケンカ売ってんの?」

 「今ぐらいしかお前を馬鹿と言えそうにないからな」

 「……ひっどい男」

 

 それからしばらくの間、俺達は散発的に馬鹿と罵り合い、
 継内がやけに可愛いくしゃみをしたところでお開きとなった。

 送ろうかと言ったらタクシーを呼ぶから良いと断られた。

 

 ――外は、よく晴れていた。

 5分で来るらしい迎えを待つ為に、2人並んで校門までの道を歩いた。

 「今日のことは、忘れて」

 「そいつは、お願いか?」

 「そうよ。変な意味じゃなく、ね」

 「お前がそう言うんなら、この件は誰にも言わないし、何もしない。
 ――だけど、忘れてって言うのは無理だな」

 横顔が、俺を見上げる気配がした。

 構わず続ける。

 「嫌なモノも、見ちゃいけないものも見たけど、俺はお前の強さだって見た。

 案外普通に喋れる奴なんだって思った。

 髪降ろした所を初めて見たし、変なくしゃみするんだというのも知った。

 そういう新鮮な気持ちまでひっくるめて、忘れたくない」

 砂利を踏みしめる音だけが続く。

 「同情で言ったんなら殴るわよ?」

 「素直な感想だ。同情とかは、ない」

 「馬鹿」

 「馬鹿は公認の事実だ」

 「こんな時にそんな事を平気で言うのは、違う馬鹿ね」

 「新感覚な馬鹿か」

 「空気の読めない馬鹿よ」

 何をー、と思って振り向くと。

 継内は素早く俺の手を取って、逆の手で押さえ込むように奥襟を掴み――、

 何かの連続技で有るかのように口づけた。

 夜の校舎には音が無く、風もなく、

 本当に5分でやって来たらしいタクシーが来るまで、俺はどうすることもできないまま硬直し、

 「おやすみなさい、また明日」

 そう言って手を振る継内が見えなくなっても、動けずに居た。

 ――それじゃあショックで忘れなさい、

 という呪文めいた囁きが、後になって生々しく甦った。

 あと10年は忘れそうにないと思った。

 ようやく息を始めたところで、これが初めてのキスだと言うことを思い出した。

 赤面と同時に絶叫した。

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