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 夜の10時半。
 いつもなら寝ているこの時間に、四宮サクラは鏡とにらめっこをしていた。

 別に、エンドレスドローなゲームに興じていたわけではない。
 コットンと洗顔液を使い、ちょっと小さめな自分の額と格闘していたのだ。

 洗面所である。
 泣きそうな表情だ。

 

 説明をするならば、20分前に戻るのが適当だろう。

 この日、お兄ちゃんとラブラブな1日を過ごせたサクラは上機嫌であった。

 しかし、どんな最高の料理も「締め」が肝心だと彼女は考える。

 今日というご機嫌な日の、最高の終わり方を彼女は前々から考えていた。

 いつものように「眠れないの」と枕を抱き締めながら上目遣いで言い、
 しょうがないなと溜め息を吐くお兄ちゃんの布団に潜り込んだ。

 ここまでは順調。
 だが、今日の彼女はそのワンモア上を目指していた。

 これは、甘えん坊なサクラからしても、かなり勇気を振り絞った行動だった。

 発言する。

 

 「ちゅーして」

 

 返事はこうだ。

 「……おでこで良いか?」

 嘘のように真っ赤になってドキドキしながらコンタクトを待つサクラ。

 近づいてくる気配に身を任せる。

 きゅ、きゅ、きゅーー。

 ベタのようだが、額に赤マジックで「中」と描かれた。

 泣いた。

 

 まあそんな訳で付いた赤い跡も、何とか落ちたようである。

 涙の跡が、痛ましいようで微笑ましい。

 はあ、と兄に倣って溜め息を吐く。

 何故だろう。乙女は報われない。

 

 そんな、ちょっとセンチな気分に浸っているときに、兄は現れた。

 「落ちたか?」

 ム、という表情。こすりすぎて赤くなったおでこを見せつけてやる。

 拗ねたときにだけ見せる優しい顔が、ちょっと辛かった。

 頑張ったのに。

 「もう寝るぞ。歯、磨いたか?」

 頷く。愛用のオレンジフレーバーな歯磨き粉は、生活の一部だった。

 「そか」

 いつもみたく、慰めるように頭を撫でられる。

 ……そう思ったから、反応出来なかった。

 

 腰を抱き寄せられて、最初に取った行動は目を見ることだった。

 だが、それも一瞬で終わる。

 呼吸が出来なくなって数秒。

 ――食べられてる。

 サクラは真っ白になった頭で、ようやくそれだけの単語を捻りだした。

 当たり前のようだが、兄と自分では口のサイズが結構違う。

 後頭部を掴まれている所為で、首を捻ることも出来ない。

 これは、捕食されてるということでは無かろうかと考えたのだ。

 ぷは、と溜めていた息を一気に吐き出す。

 吐息に、熱と湿り気が混じり、涙目になった。

 数秒後。

 サクラは何も考えずに同じ事を受け入れ、自ら唇を押しつけた。

 

 5分ほど舌を絡めてから後、サクラはふらふらと自室に帰っていった。

 今日は多分、布団の中には来ないだろう。

 安物の白熱灯が照らす空間の中で、四宮裕貴は驚くほどに醒めていた。

 ――何もない。

 唇を重ねたとき、微かな熱気と引き替えに、得たのは底のない虚無感だった。

 期待という概念は、つまらないことであっさりと反転する。

 口の端を歪めて、無理矢理笑ってみた。

 お面に入れた切り込みのように意味のない曲線が、鏡に映る。

 「何を期待していたんだ、四宮裕貴」

 当然持っているべき後悔や羞恥も無く、ただ呟いた。

 妹が眠ったままの3年間。最初は放置しようかと思っていた。

 事実、世話も時折帰ってくる母親に任せきりだった。

 だが、ある時。

 妹は、食い殺された彼女と同体であると考えてしまったときから、無視できなくなった。

 愛情と憎悪は、きっかけさえ有れば簡単に結びつき、人を縛る。

 「アイツはミコトじゃない」

 死なない悪魔。それを飼っているというふざけた日常。

 どころか、許せないはずの妹に、ふとすると心を開いてしまいそうな弛緩。

 髪を下ろしたとき。柄にもなく俯いたとき。満ち足りた目でこちらを見るとき。

 どうしても揺れる。思い重ねる。

 その弱さを、四宮裕貴は恥じた。

 

 ……本当はさっきから気付いている。

 右手には、痛いほど多くの氷硝と氷柱が吹き出ていた。

 妹を、『無限詠唱』を殺せる唯一の殺人武器。

 色と意味を保有しているモノ全てを破壊する、無機の硝化限界。

 それが、殺意と欲情に反応して、こんなにも強く具現化してしまっている。

 

 貴宮シズネに会いたくなった。

 また妹を殺す前に、あの鉄拳で間違った考えを正して欲しかった。

 俺もいい加減シスコンかな、と呟いたあと、展開した破壊領域を握りつぶした。

 生体義手は粉々に砕け散った。

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